2016年のアメリカの大統領選挙で、民主党候補ヒラリー·クリントンは、大本命と言われながら、国務長官時代の「メール問題」に足を引っぱられ、苦杯をなめました。公用のメールの一部をプライベートなアドレスでやりとりした点が攻撃されました。
当時、私もそのことの重大さに鈍感でしたが、現在、日本で起きている財務省の文書の改ざん、隠ぺいといった事態と重ね合わせると本質が見えてきました。自分にとって都合の悪い情報を廃棄、改ざん、隠ぺいしていったら将来、政治や行政そのものを検証することができなくなってしまいます。つまり記録の保存は民主主義の根幹というわけで、国務長官が都合の悪いメールをプライベートなアドレスから発信してしまったら、後世から見て正確に情報を読むことができなくなってしまうわけです。
森友学園問題での財務省の失態はひどいものでした。うかつにもというのでなく、積極的に記録を加工していったわけですから。週刊ダイヤモンドが「最凶官庁、財務省の末路」という特集を組んでいて、興味深く読ませてもらいました。財務相が、当初「個人の資質の問題」といっていたものが38名に及ぶ関与が判明して、組織の問題であることが否定のしようもなくなりながら、当の財務相が「なんでこんなことが起きたかって?それがわかれば苦労はしないよ。」とのとぼけで対応するのを見る限りでは、日本の民主主義の底の浅さは、情けないばかりです。
その財務省も、腰抜けの検察の「不起訴」処分で助けられ、「大阪の恥を東京で挽回」とばかりに、東京地検特捜部が、神戸製鋼に強制捜査に入りました。栄えある日本の製品の国際信用を台無しにした罪は重いと思うが、財務省と比べてどうなのだろう。国際信用を壊した点が問題なら、データ改ざんならほかにもいっぱいあったんじゃなかったっけ。目先をそらすスケープゴートでなければよいのですが。
税経センターグループ 顧問
新山 晴美